危機管理・テロ対策・暴徒鎮圧を目的に開発された新世代プラズマサーチライト
田村装備開発 瀧澤裕人氏 スペシャルインタビュー
Photographer:藤井元輔 Interviewer:土田康弘
Photographer:藤井元輔 Interviewer:土田康弘
田村装備開発のスタッフの中でも警察や自衛隊を経験していない民間出身という希有な存在の瀧澤裕人氏。
ただしサバイバルゲームで磨いた技術は一級であり“腕が立つ”ことに置いては誰もが一目置く存在。
そんな瀧澤氏の自分を磨く訓練が好きになる過程を聞いた。
子供の遊びとしてはじめたエアガン
強くなりたいと訓練の日々がスタート
練習生として田村装備開発の訓練を3年間受けた後、入社することになった瀧澤裕人氏。訓練の中で同社の社長やスタッフからも一目置かれる存在になるほどの腕前とスキルアップするためには努力を惜しまない姿勢が瀧澤氏を端的に言い表している。そんな瀧澤氏を形成した幼少期から青年期に遡ってみることにした。
「両親がすごく厳しくて子供の頃から銃のおもちゃは禁止されていたんです。それでもまわりの友達が楽しそうにエアガンで遊んでいるのを見てどうしても欲しくなって、小学校3年生の時にこっそり手に入れました。野原で撃ち合いをしたり建設中だった道路を挟んで二手に分かれて戦闘のようなことをしたりして夢中になりました。この時にエアガンを使った戦いにはじめて触れたんです。今思い返してみるとそれから25年、ずっと人を撃つことを考えてきました(笑)」
―― 子供の遊びとして始めたエアガンだったが、中学生になった瀧澤氏に大きな転機が訪れる。それが海外の戦闘訓練の映像だった。
「当時の雑誌の付録でDVDが付いていたんです。そこに海外の民間軍事会社(PMC)の訓練の様子が収められていました。はじめて動画で本物の訓練を見たんですが、すごい衝撃を受けました。なぜだかそこから訓練に強い興味を持ったんです、すぐに見よう見まねで訓練をはじめました。的を並べて撃ったりするうちに、サバゲーをすることよりも訓練することが楽しくなっていったんです」
―― 最初は友達同士で撃ち合う遊びから始まったのだが、自分をもっと高めたいという思いが強くなり訓練に重心を置くことになっていく瀧澤氏。“ずっと訓練が好きでした”と本人が語るように、よほど戦闘訓練が性に合っていたのだろう。20歳頃になると民間で訓練を実施している施設を知り、友人に連れまわされて全国のさまざまな場所で訓練を受けることになる。だが何かが違う……
「戦闘訓練といいつつどこも標的射撃の訓練ばかりでした。確かに射撃能力は上がったのですが、直接サバゲーなどの撃ち合いで強くなる要因と感じませんでした。それはそれで勉強になったのですが戦闘のための訓練というよりは、銃器の使い方の訓練といった感じでした」
田村装備開発の異質な訓練と出会い
対人戦闘の技術を磨くことに集中する
先にも書いたとおり、人を撃つことばかり考えてた瀧澤氏、標的射撃の訓練では満足できなかったのは当然と言えば当然だったのかも知れない。しかし、複数の施設で訓練を受ける中でまったく異質な訓練に出会う。
「それが田村装備開発の訓練だったんです。他の施設と異なっていたのは“的撃ち”では無く“対人戦闘”だったこと。最初に参加したときには講師陣にボコボコにやられました。
それもそのはず、対人戦闘は敵も動くし敵からも撃ってきます、理不尽と思えるほどなにもできず撃たれました……そんな経験は今まで無かったんです。それまでサバゲーではある程度できると思っていたので、これはかなりショックでした」
―― この経験から田村装備開発の訓練にはまった瀧澤氏“対人戦闘でもっと自分を高めていきたい”と目標を新たにした。
「そこからは田村装備開発の訓練だけ集中して通うようになりました。当時の訓練では講師が仮敵になって突入訓練などをしていました。しかもその講師の方々がめっぽう強いんです。それもあって講師陣のスキルを信用するようになっていきました」
―― しかし社会人になると休日の休みの都合を付けるのが難しくなり、なかなか訓練に行けない時期を過ごすことになった。しかしこれで折れてしまわなかったのも瀧澤氏らしい点。
「仕事が忙しくて1年間ぐらいまったく訓練に行けない時期が続いたんです。しかしそのままではスキルアップどころか退化してしまうのではないかと思ったんです。そこで自己訓練をすることにしました。自己訓練の方法は田村装備開発のプロモーションビデオを見て、田村社長など講師陣の身のこなしをまねることでした。自分の当時の課題はスピードだと感じていました、そこで田村社長が登場する動画で、どうすればスピードアップできるかも徹底して分析しました。
そこで見えてきたのが足さばき/体さばきだったんです。次の動作に移る前につま先はどちらの方向を向いているんだろう、ムダな動きをしないために体はどのように振るのだろう、そんな細部をずっと見て真似しました。もちろんそれを説明するビデオじゃ無いんですが、自分が気になったのはそんなところばかりだったんです」
―― このエピソードからもわかるとおり、スキルアップのテーマが明確になっていた瀧澤氏には、常人とはまったく異なる視点でビデオを見て真似ることを1年を通じて行ったという。このあたりから瀧澤氏の訓練に対する“変態ぶり”(あくまでも肯定的な意味で)が開花していくのだった。
1年後、ようやく田村装備開発の訓練に行ける時間が取れて、久しぶりの訓練に参加した時のこと、講師陣からの評価が一気にアップし1年前は初級ランクだったのが飛び級で上級にまでランクアップする。自らがカリキュラムを考えて実行した1年間の自己練習が実を結んだ瞬間だった。
技術レベルを自己練習で大きく高め
田村装備開発に認められ一員となる
すっかり田村装備開発の訓練に魅了された瀧澤氏、田村装備開発の社長をはじめとしたスタッフとも親密になっていたある日のこと“うちでスタッフとしてやってみない?”という誘いを受ける。
同社の訓練やスタッフの技術レベルの高さに魅了されていたことから入社を決定する。
「入社を決めたひとつの理由は訓練を受けている段階で知り合った警察官や自衛官の練習生仲間でした。訓練以外でも食事に行ったりする仲になっていたんですが、そこで話していると彼らは公務で命をかけている、しかも私費を使って訓練にやって来ているんです。でも自分は遊びなんです。そこでなんとか彼らの役に立ちたいと思ったんです。これも大きな入社動機になりました」
―― こうして田村装備開発の一員になった瀧澤氏、本格的な戦闘訓練を3年程度続けて、ついにプロとして認められることになる。
その当時に瀧澤氏をどのように見ていたのか、採用を決めた同社社長の田村氏に話をうかがった。
田村氏「瀧澤は1年ほど訓練に来なかった時期があったんですが、次に来たときにいきなりうまくなっていたんです。銃の構え方、スピード、練度が桁違いに良くなっていました。数分間、彼の動きを見ればわかるほどの上達ぶりで“これはすげーな!”と思いましたよ。
よくよく聞いてみると訓練に来られない間に自己練習で努力していたとのこと。こんなに努力する力があればどんなことでも対処できると思ってスタッフとして参加してもらうことにしたんです」
―― 田村装備開発に入社するにあたって瀧澤氏は訓練の目的をあらためて設定することにした。
「自分が仮想敵として役立つ為に強くなろうと思いました。自衛官や警察官の練習相手が強敵であるほど彼らの踏み台として役に立てます。踏み越えられたらそれを超える様に自分が強くなれば、終わりなく皆が強くなれると思ったんです。これを入社してからの自分の訓練の目的として定めました」
―― 田村装備開発ではTTC(Tamura Training Center)の講師のサポートとして参加するなど、入社直後から練習生と対峙する立場になる。そこでもそれまでの訓練で培った対人戦闘の技術を生かした訓練を行うことになる。しかし、もうひとつの柱として瀧澤氏が取り組んだのが得意とするサバゲーでの新事業だった。
「自分が入社してから新事業として始まったのがサバイバルゲーム部門です。それは訓練施設を使ってないときにサバゲー場として転用し運営することです。サバゲーは自分がこれまでやって来た得意分野でしたので、どんな場所でもお客さんを楽しませる自信がありました」
得意分野のサバゲーと田村装備開発の施設を融合して魅力的なメニューを創出
瀧澤氏はサバゲーの事業を任せられることになった、そこでは人当たりの良さと高い技術力を武器にして結果を残していく。
サバゲー場として集客も増え、田村装備開発にもうひとつの事業分野が確立していくことになる。さらに、サバゲーで高い技術力を備える瀧澤氏の噂はサバゲー業界には広く知られていった。そんなスキルを見込んで各地のサバゲー場から出張講師として招聘されることも増えていく。
―― サバゲーの分野で田村装備開発の中でも独自の展開をはじめる瀧澤氏。そこで田村装備開発にしかできないサバゲーを考えることも忘れていなかった。
「田村装備開発の訓練施設は通常のサバゲー場とはまったく異なる作りなんです。一般的なサバゲー場は戦闘エリアの裏や側面が使えるフィールドに設計されていることが多いんです。ある意味ではそれを読むことで“フィールドと戦う”感覚があります。
対して田村装備開発の訓練施設は対照的なフィールドです。迂回路などはなく側面や背後からの攻撃が行いにくい構造のフィールドです。そのためフィールドを利用した戦い方だけでは通用しません。戦う相手はあくまでも“人”なんです。相手を見て攻略する、それが鍛えられるのも田村装備開発ならではの特徴と言えるものです」
―― こうしてアマチュアのサバゲープレイヤーから、プロの講師へと転身を果たした瀧澤氏、アマチュア時代に群を抜く戦闘力・スキルを身につけていたが、プロフェッショナルになって変わったことを尋ねてみた。
「アマチュア時代は本能的に感覚でやっていたことをプロになってからは理由付けをして言語化したことが一番の違いです。そうしないと練習生に対して効率良く教えることができないんです。同時に理論化すると自分のレベルアップにもつながるとわかってきました」
―― 理由を探して言語化することで、教え方も変わってきたという。
例えば、敵にガンロックされている状況を想定して説明してもらった。
こちらは障壁物に隠れているが、出れば即撃たれる状況だ。その際に普通の人であれば銃を構えて照準を見て障壁物から出て相手を撃つことになるのだが、これでは(障壁から出る)→(相手を見つける)→(撃つ)動作が必要。
一方の相手はすでにこちらに対して狙いを定めているため(撃つ)の動作のみ。これではまったく勝ち目は無い。
そこで一例として索敵のためわずかに顔を出してすぐに引っ込める動作を実施して相手の居場所を見つける。こうすることで相手との関係を50対50に近い状態まで持ち込むことも可能だ。このように戦いの状況には各々理由があり、説明を付けた上で状況に応じた戦い方を理論的に説いていくこともプロになって進化した点だという。
―― 高いスキルを持ち、訓練時には一人で複数の相手を倒した経験もあるほどの瀧澤氏だが、近年になってフィジカルトレーニングを本格的にスタートさせた。
「先輩の長田さんと朝のトレーニングを3年続けています。これまでは負荷が少なくて楽して強くなれるスキルトレーニングに重点を置いてきました。しかしきついトレーニングでフィジカルを鍛えることで、さらに上の世界が見えてくると感じたのです。すでに立ち方が変わってきた、体幹が安定してきたといった評価も受けて、着実に成果が出ていると思います。
フィジカルが鍛えられるとスキルの方にも良い影響があることもわかってきました。あらためてフィジカルを鍛える重要性を感じているところです。そして最後に大切なのがマインド=心の部分です。これはつい調子に乗ってしまいがちな私が弱い部分なんです、次はここも鍛えていきたいですね」
―― 田村装備開発ではサバゲー分野や訓練補佐の他、事務仕事や庶務的な仕事も担当している瀧澤氏。射撃などのスキルでは自信がある瀧澤氏だが事務仕事はまだまだ苦手な分野だという。
「スキル、フィジカルと同じく大切なマインドを鍛えることで苦手意識が強い事務仕事も克服もします! これは自分への決意表明でもあるんですけどね(笑)」
瀧澤 裕人(たきざわ・ひろと)
平成元年生まれ、趣味として射撃や訓練などをはじめスキルアップ。田村装備開発のTTCにも練習生として参加した経験を持つ。サバイバルゲームでの腕前は群を抜く。
一般企業に就職した後、26歳で田村装備開発のスタッフとして登用される。現在は施設管理部長として勤務、サバゲー場の運営や出張講師、さらにはTTCの助教などでも活躍する。