田村装備開発 田村忠嗣氏 スペシャルインタビュー

特殊部隊向けの装備開発やボディーガード(4号警備)、特殊作戦訓練の提供を手がける田村忠嗣氏。
自らが社長を務める田村装備開発は警察官や自衛隊員といったプロにも認められる装備品を自社スタッフのアイデアで開発することでも知られる。

レイギアーズの製品開発とも密接に関わりを持ち、新たなタクティクルライトの可能性を探るアドバイスも送り続ける。今回はそんな田村氏の思いに迫った。

インタビューは埼玉県東松山にある田村装備開発の社屋で行われた。間近には山林が広がり、ここを自社の訓練場としている装備開発や戦術開発には恵まれた立地環境にある会社だ。

現れた田村氏は自らが手がけるYouTubeチャンネル・ガチタマTVに出演することもあり、画面上で何度か視聴していた筆者としても、初めて会ったとは思えなかった。

しかも話し始めると普段は特殊部隊向けのハイレベルな装備品の開発や実戦的な訓練を陣頭指揮しているとは思えない、気負いのない気さくな人物だったのが印象的だった。

かつては埼玉県警のRATSに所属し、後に田村装備開発を設立することになる田村氏、まずはそのルーツに迫ってみることにした。

「警察官を目指したのは映画やドラマを見てかっこいいと思ったという単純な動機なんです。中でも映画ザ・ロックなどで描かれている特殊部隊に憧れて警察に入れば“特殊部隊”の隊員になれると思って埼玉県警に拝任しました。でも埼玉県警にはSAT(特殊急襲部隊)は設置されていなかったんです」

―― しかし、当時の上司から埼玉県警で新たに設立した埼玉県警察本部警備部機動隊RATSへの入隊を打診され入隊する。これが田村氏のその後を大きく左右する分岐点となる。

「RATSは銃器対策やテロ対策などを担当する部署で、通常の警察官では対処しにくい高度な敵に対する部門として設置されていました。もちろん出動回数は少なく、普段はさまざまな訓練を行う日々だったのです」

―― この時の訓練が田村氏のバックボーンを醸成する礎となっているのは確かなようだ。数々の訓練で自らを磨き、高度な戦術や装備品を知る機会になっていく。しかしRATSは設立間もない組織でもあったことから訓練の内容はまだまだ定まっていなかった。

「設立から歴史も浅く成長過程だったRATSでは戦術などの面でも外部の講師に頼ることが多くありました。しかし、そのおかげで独自の進化を遂げた精強な部隊でもありました。当時の上司が熱い方で、自らが希望して色々な部隊に学びに出かけることも許可してくれました。そのため自らすすんで様々な武術の稽古に通ったり、自衛隊の各部隊やアメリカのSWAT(特殊部隊)、FBIなどに行って学びました」

装備品への強い関心を持ち始め
自らが最適な装備品の開発を志す

装備品に対して強い興味を持ったのもその頃からだった。海外を含めて特殊部隊でさまざまな戦術や装備品を経験した田村氏、自らが必要とする装備について考え始めることとなる。

「最初に気になったのはグローブでした。射撃にも使うため操作性を考えて薄手のグローブを使うことが多いのですが、あまり薄いとすぐに破れてしまうんです。かといって、厚手のもでは射撃精度が落ちる。

そこで私はグローブの右人差し指の先を開いたり閉じたりできる構造に自分で改造しました。使い勝手は非常に良かったのですが、ある現場でブリーチング(窓を破るなどの進入路の確保)をする際に人差し指の穴からグローブの中にガラスの破片が入り込んでしまい怪我を負ったことがありました。その頃から何か良い装備への拘りが強くなりました」

―― 警察では官品はあるものの、一部の装備は自らが使いやすいものを自由に選んで使用しても良いという柔軟な考え方があった。そのため海外製品を含めて靴、グローブ、サングラスなど、気になる装備品を自らが探しその使い勝手を訓練や実戦を通して試してみることになっていく。さらにそんな考え方が高じて、警察内でも装備品や戦術に関する問題意識を上司にぶつけることが増えていく。

いよいよその思いが強くなっていた田村氏、様々な要因が重なってはいるが、一番の切っ掛けはある上司の「自分の好きにしたいならば自分の組織を作れば良いだろう?」といった一言であり、あっさりと警察官を退職してしまう。そしてすぐさま、退職から2ヶ月ほどで自らの理想を実現すべく田村装備開発(株)を設立することになる。

「2009年に田村装備開発を設立しました。真っ先に警察官時代に感じていた装備品のレベルアップ目指し製品を開発することにしたんです。そして最初の開発は前々から納得していなかったグローブでした。それまでの経験や思いを込めて開発したのですが、残念ながら初年度は知名度も低く販売も低迷しました……」

―― 転機となったのはある雑誌の取材だった。

アイドル活動をする女性にロープ降下などをレクチャーすることになる。その取材の際に想像以上の反響があり、まずは他社の施設を借りて受講生を集め訓練を提供していた。その頃から、ある部隊の要望に応じ会社近くの公園で格闘訓練を行なっていた事もあり訓練施設を設立するに至った。

元々訓練の提供は予定しており、会社設立時の定款にも記載しておりました。予定はかなり早まりましたが、トレーニングに適した土地が見つかったので訓練施設を作ることにしたんです。対象は警察官、自衛官がメインではありましたがサバイバルゲームを楽しむ一般ユーザー様も共に訓練する事で、プロ目線とはまた違った着眼を得る事もできました。当時このような技術を教える会社はほとんど存在していなかったので幅広い方々に注目されたのだと思います」

田村氏をはじめ特殊部隊を経験したスタッフを抱え、高度な戦術戦技を教えることができる訓練施設として信頼を集めるのには時間が掛からなかった。しかも同社の訓練カリキュラムは独特だった。
当時海外で行われていたタクティカルトレーニングの多くは、紙や鉄の的に射撃したりリロードをする事など個人戦技の習得で主であったが、田村装備開発の訓練は敵味方に分かれた自由攻防における徹底的な撃ち合いであった。

「私達は標的を撃つ訓練は殆ど行いません。そういった訓練は警察・自衛隊などの部隊や自主トレーニングで十分錬成できるからです。そして多くの部隊では撃ち合いの訓練はあまり行わないためそこに強い問題意識を持っておりました。そういった理由から、弊社では自由攻防における撃ち合いをメインに行っております。

当初は対抗役(敵役)に適任者がいなかったため私や長田(元陸上自衛隊 特殊作戦群)といった講師陣が対抗役となって受講者と戦ってきました。これはボクシングで言えばスパーリングです。いくらサンドバッグを叩いていても限られた技術しか養えません、戦術戦技も同じであり、射撃トレーニングだけでなく撃ち合いの訓練も行わなければ実践的では無いのです。また、現役の警察官や自衛官にはプライドが高い方が多いので、力を見せつけなければまともに話も聞きません。まずは、今のままでは勝てない、ミッションを完遂できないことを理解して頂いた上でその後の戦術戦技訓練に臨んでもらいたいと考えたのです」

―― 教科書で憶えた知識と実践的な行動の違いについて、その一例を紹介してもらった。

「例えば銃を構えるポジションの一つであるコンバットレディは教科書では“下方向○度”など決まっていることが多いです。これは査閲や観閲で見せる分には綺麗なのですが、全く実践的ではありません。ある意味演劇と同じです。魅せるための訓練を100年続けたとしても精強な部隊にはなれません。

では何度にすれば良いかといえば、その場の状況で角度を変えるべきなんです。部屋の広さはどの程度なのか、敵が待ち構えていることが想定されるドアや開口部までの距離はどの程度なのか、それに合わせてもっとも最適な角度にしなければなりません。視角をじゃませず敵を見つけやすい、なおかつすぐさま射撃に移れるポジションですね。また、練度が上がればコンバットレディの弱点を補うために更に実践的なポジションに移行してゆきます」

―― そんな訓練が評判になりどんどん受講者が増えていった。すると同時に装備品への関心も高まり訓練/装備品の両輪が出来上がり田村装備開発が軌道に乗ることになる。

「私は戦術=装備品だと思っているんです。装備品が進化すれば当然戦術も変わります。例えばナイトビジョンのある環境だとそれに沿った戦術が立てられます。ドローンがあればそれを運用した戦術が立てられます。そのため常に最先端の装備品の情報を収集した上で「訓練→装備品開発→訓練」の好循環を生む事が大切です。」

―― しかも訓練にやって来る受講生の中には警察や自衛隊のさまざまな部隊の精鋭であったり、中には外人部隊のメンバーもいる。現場をリアルに知る受講者からは現在必要とされている最先端の装備をリサーチすることもできる。これが田村装備開発の開発の入力源のひとつとして非常に大きな役割を果たしているのだ。

こうして装備品の開発を加速させていった田村氏と田村装備開発。スタッフには警察の特殊部隊出身者から自衛隊の特殊作戦群出身者もいるため、多岐にわたる開発ができるのも強みとなっている。

それぞれのスタッフが専門性を持って「自分が使いたい装備を作る」ことも田村装備開発のテーマになっている。田村氏も常に「現役だったらどの装備が欲しい?」と自問自答を繰り返しているという。

―― そんな装備開発の中で特に田村氏が力を入れてる物の一つがライトだ。

「RATSの隊員になった当初は“光が強ければ良いんでしょ”程度に思っていたんです。カタログスペックのルーメン値ばかりに目がいっていました。しかしローライトバトルを深く学ぶにつれてその思いは一変しました。ライトは装備品の中でも重要度が極めて高いのです、ホステージレスキュー(人質救出)にも大きな役割を果たすなど、戦術に大いに影響する装備なのです」

―― こうして警察官時代に支給された装備品ではなく自らが購入したシェアファイアのライトを使い始めるなど、ライトによる目くらまし効果なども実戦的に試し研究していった田村氏。

さまざまなライトを実際に使うことで必要とする機能への思いは強くなっていく。田村装備開発の設立後にはさらにライトへの思いを強くする田村氏だが、その頃に出会うのがレイギアーズだった。レーザー励起光を使ったTSUKUYOMI.9との出会いもあり、田村装備開発のオリジナル仕様(Takemikazuchi)を作るまでの関係になっていく。

「レイギアーズのTSUKUYOMIシリーズに出会ったときに、レーザー励起光の素晴らしさを感じました。遠くまで光が届き、なおかつ光が広がらない。この特性はLEDでは実現できなかった新たな戦術を生み出しました。近年の戦闘では常識となったMOUT(市街地戦闘)でのライト戦術の有効性が飛躍的に向上しました。その後にスイッチの操作系などを変更したTSUKUYOMI.9はVer.3と進化しさらに満足いく内容となりました」

―― 加えてTSUKUYOMI.55にも強い可能性を感じる田村氏、TUKUYOMI.9と同様これまでに無かったタクティカルライトの使用法=戦術にも思いは及んでいくこととなった。

「TSUKUYOMI.55はさらに強力な光を発します。大きさや重量を考えると使用状況は選びますが、例えば今まではある程度近づかなければ行えなかった不審車両の検索と安全化(武装解除)を遠距離から行えるため安全性が高まります。また遠くからでも十分に効く光なので、ホテルなどの長い廊下やショピングモールでのアクティブシューター対策などでも有効な制圧機材として使用できます」

―― こうして田村装備開発では「TSUKUYOMI.55 銃器形状セット」「TSUKUYOMI.9 田村装備開発セット」といったレイギアーズ製品を扱うことをスタート。実戦で使える優れた機器を厳しい目で見る田村氏も満足させる製品であることが証明されたのだった。

そんな田村装備開発とレイギアーズの関係性は日に日に強くなっていく。そこで開発されたのがレーザー励起光から発想した“青色”を使ったタケミカヅチ-Takemikazuchi(武御雷)と呼ばれるモデルだ。

田村氏は青色光への強い思いがあり、今まで数種類の青色LEDライトを開発してきたが、レーザー励起光の青色タクティカルライトは既製品が見当たらず、おそらく本製品が初となるだろう。

「14年ほど前、親友である自衛隊特殊部隊員との会話で青色光のライトはローライトバトルで効果があるのか? という話題が出たんです。その知人は医療や視神経にも詳しく青色光が視神経の桿体細胞に強い影響を与えることを教えてくれました。それがきっかけで青色光のことを調べ始め、共にプロトタイプを試作し戦術戦技の研究を進めたところ、世界中探しても類を見ない最高峰のローライトテクニックが生まれました。

その戦術を用いれば、特に難しいミッションの一つであるCQB(室内などでの近接戦闘)での人質救出などの難易度が大幅に軽減します。ただし、青色の光を使用した戦技にはコツが必要で、正確な知識と技術が無ければ到底使いこなせません。従いまして、白色の光と同じ様に運用してしまうと良い結果は得られない完全にプロ向け仕様のライトなのです。

また、TAKEMIKAZUCHIはその性能の高さから、知識不足により事故が起きる可能性が高いため、販売は一部例外を除き官公省庁への納品に限定することに致しました。部隊限定であれば私達の知識を余す事なく共有できますので、採用された部隊には使用上の注意や戦術戦技の説明をさせて頂く予定です」

―― こうしてレイギアーズでの開発を依頼した田村氏、操作系や点灯パターン、さらにはデザインまでを自らが手がけるほどの力を入れる。

またTakemikazuchi最初の試作機は、照射距離6,000mを超えていたのだが、これを戦術用途で危険なく使えるレベルの照射距離900mに抑えることで完成となる(照射距離6,000mのタイプも部隊へ供給可能。要問合せ)
詳細は明かせないものの、ただの青色発光では無く、今までには無かった、より幻惑し攻撃的な光の性質に仕上げているのも同モデルの特徴となった。開発を担当するレイギアーズいわく“Takemikazuchiはロイヤルブルーと言うよりダイヤモンドブルーが最適表現な光ですね”と語った。

さらにこの技術はレイギアーズの持つ鑑識技術ともあわせて、田村氏が新たな戦術に落とし込んでいます。“光で攻める”だけではなく“光から守る”ための提案も部隊に案内を開始しているところだ。

―― 田村氏が長年研究を続けているローライトバトルで効果のある装備品として世に出ることになったTakemikazuchi。

「青色光のレーザー励起光でローライトバトルでの優位性が飛躍的に向上します。敵味方、互いが同程度のローライトテクニックを習得している場合、その勝敗を分けるのはライトの性能です。適切に使用することでホステージレスキュー(人質救出)のリスクも大きく軽減されるでしょう。長廊下や広い場所での戦闘でも圧倒的優位に戦う事ができます。低照明下戦闘を熟知している者からすれば現存するタクティカルライトでは得られないありがたみを痛感することと思います」

ローライトバトルのためのタクティカルライト「武御雷」のイメージ画像

田村装備開発の装備品開発や訓練で数多くの現役警察官、自衛官に会う機会も多い田村氏。特に自らの出身である特殊部隊の後進へのメッセージをもらった。

「弱い部隊に存在価値はありません。成功するか否か、力こそがすべての世界です。いくら教科書通りの動きをマスターしても作戦を失敗したら意味がありません。訓練で良い成績でも実戦に弱ければ誰も評価はしません。

誰かの言葉を鵜呑みにせず、自分なりに各戦技のメリット・デメリット、装備資機材の特性を調べ熟知する事が肝要です。また近頃はパワーハラスメントがたびたび話題に上りますが、ある程度は我慢しストレスに耐える訓練だと割り切る覚悟も必要です。現場は常に理不尽であり、理不尽に慣れておく必要があるからです」

―― さらに警察の枷となる問題点も指摘する。

「現在も警察官の発砲は非常に難しい状況が続いています。これは足枷です。何も考えずにパンパン撃たれては問題なので当然発砲の要件は厳しくて良いのですが、撃つべき所で撃てないのも大きな問題です。発砲が許可されれば比較的簡単に制圧できる事案も数多いのですが、それを縛られることでミッションの難易度は飛躍的に上がってしまいます。犯罪者と善良な市民の命を天秤にかけるならいわずもがな、もっとも成功率の高い戦術を採るためには必要な条件の一つです。世論の醸成を含めて、もう少し自由に戦術を展開できる日本になることを願っています」

警察、自衛隊を含めた組織の戦術や装備の進化や未来を考え続ける田村氏。
戦術=装備品と語ってくれた田村氏の飽くなき挑戦はまだまだ続いていく。田村装備開発での訓練や装備品開発からこれからも目が離せない。

PROFILE

田村 忠嗣(たむら ただし)

田村装備開発株式会社代表取締役社長。元警察官。
警察本部警備部機動戦術部隊(通称RATS)、警察本部警備部警備課突発重大事案対策班を歴任。警察学校逮捕術大会優勝(徒手)、機動隊逮捕術大会優勝(徒手)、機動隊射撃競技会上級の部2位の実績がある。実務、皇后陛下警衛警備、原子力発電所警備、パトリオットミサイル警備、外国人マフィア組織突入・検挙ほかがある。

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