田村装備開発 長田賢治氏 スペシャルインタビュー

今回の主役は田村装備開発でTTC(Tamura Training Center)の教官を務める統括部長の長田賢治氏。

陸上自衛隊出身ならではの強面な一面を持ちながらも、話し始めれば戦術や装備に関する熱い思いがあふれ出してくる田村装備開発には無くてはならない存在になっている人物だ。

長田氏は田村装備開発の大きな柱のひとつである訓練においてたぐいまれな才能を発揮する。

現役の警察官や自衛官が一目置くのも自衛隊時代から培った訓練の教官としての資質にあるのは間違いないだろう。そこで今回は長田氏が訓練で講師を務める際のバックボーンになった、自衛隊時代の経歴を中心に語ってもらうことにした。

レンジャー、特殊作戦群(SOG)など、陸上自衛隊の中でも精鋭の部隊を歴任してきた長田氏、そこで培った技術が現在の訓練にいかされている。そのルーツを紐解いてみた。

長田氏が自衛官を目指すことになったのはどんな思いからだったのだろう。高校時代を振り返って、自分史を語ってもらうことにした。

「高校時代はサッカーに明け暮れていました。そんな当時の私は国防に強い想いがあったわけでもなく、また自衛隊について考えたこともありませんでした。しかし時代の影響もあり、父親から“公務員になれ”と強くすすめられ、また伯父さんが元自衛官だったこともあり、自衛隊を志すことになりました」

―― こうして山口にある陸上自衛隊(第17普通科連隊)に入隊した長田氏。しかし入隊して訓練をはじめた早い段階から、もっと成長したい、もっと高いレベルの戦術を学びたいという思いが強くなる。このあたりから並みの自衛官との違いを感じさせる。

「教育課程を終えた頃に、最初の?が生まれました。この訓練で良いのか? 本当に撃てるのか? 戦えるのか? そんないくつもの疑問がわき上がってきたんです。装備に関しても、当時自衛隊で使っていた装備とは違う、もっとさまざまなものを知りたいと思うようになっていき、戦術面でも装備面でも自分を高めていける教育や訓練を望みはじめていたんだと思います」

入隊後の教育課程を終えた長田氏が配属されたのは情報小隊、徒歩斥候と呼ばれる役割を担う部隊だ。ここでは戦闘というよりも相手の部隊を監視、偵察する任務を負うことになる。

「小隊は『連隊の目』と言われるだけあって、その任務は厳しい面も多々ありましたが、それら業務は自分に合っていたようで、また高校時代好き勝手にやっていた割には、意外と成績もよく1選抜で陸曹候補生の指定を受けました。陸士時代は諸先輩方から自衛隊における基礎的知識・技術等、多くのことをご指導いただき学びました」

―― 順調にステップアップを続けた長田氏、陸曹候補生の教育、さらにはレンジャー訓練を受けることにもなった。組織の中でも体力的にも知識や戦術的にも長けていたことが、レンジャー訓練に抜擢されるきっかけになっていたようだ。

「実際はレンジャー訓練には行きたくなかったんですけどね(笑)レンジャー訓練には各部隊から精鋭が集まってきたこともあって、みんな意識が高く、また隊員同士、仲が良かったこともあり良い訓練ができたと思います。当時一緒に訓練を受けた仲間とは今も付き合いがあるのも、同じレベルの目標を持ってやっていた仲間意識からなんだと思います」

―― これまでの部隊での訓練よりも明らかにレベルの高い訓練内容を経験する長田氏。従来以上の充実感を味わう。

「大部隊が展開して行う組織的戦闘において、レンジャーは小部隊として大部隊に連動し遊撃活動を行います。遊撃活動には襲撃、伏撃、偵察などさまざまな任務があり、柔軟に対応する行動力が求められます。それらの行動は過酷ではありましたが現実に即した戦術的行動であり、とても充実していました。レンジャー訓練で学んだ内容は現在の自分にも大きく影響しており、今思えば人生における最初の分岐点でした」

―― ある日のこと訓練で山中を歩くことになる長田氏。このようなときには隊列の先頭をリードすることが多かった。

「地図とコンパスを活用してルートを見極めるのは得意でした。その点が信頼されていたのだと思うのですが、その時も前方警戒員として参加していました。前方警戒員の任務は、前方の警戒と部隊の前進の維持です。そのために警戒の度を保ちつつ、コンパスを活用し前進方向を見極め、歩数(歩測)により進んだ距離を常に把握します。このことにより、ルート上にある分岐点などの重要地形を見失わないようにします。

しかし、その時に限って歩数を失念してしまったのです。苦し紛れに他の隊員に歩数を聞いた上でルートを取ったところ、あらぬ方向に部隊を導いてしまったことがありました。これには大変悔やみました、それからはより自分に厳しく、他に頼ることなく自分を信じられるように訓練することを究めていこうと思いました」

―― 田村装備開発の訓練でもランドナビゲーションを教えることもある。自衛隊に置ける訓練のみならず、ハイキングなどでも山の遭難対策として有効な技術なので、幅広い人々にこの手の訓練は有効であることも説いてくれたのだった。

その後、長田氏のレンジャーでの活躍ぶりを見ていた上層部は長田氏にレンジャーの教官を補佐する助教になるべく辞令を出すことになる。ステップを踏むように自衛官の中でも高度な訓練を必要とするポジションを歴任することになっていく。

さらにレンジャーの隊員を中心とした特殊作戦群(SOG)が発足するということでセレクション(選抜)に手を挙げる。
これまで優秀な成績で大過なく過ごしてきた長田氏だったが、セレクションでは大きな壁にぶつかることになる。

「とにかく特殊作戦群のセレクションはキツかったです。特にしんどかったのが重量物を携行した長距離徒歩移動です。セレクションをクリアするという目標はありますが各種行動のための任務や目的があるわけではなく、ひたすら歩き続けるだけなんです。この時に『心が折れる』という感覚を初めて体験したかもしれません。“明確な任務”があること、目的意識をはっきりさせて行動することの大切さを、身をもって思い知りました。任務があれば辛いことにも耐えられるんだと」

―― そのようなセレクションではあったが、合格し第1期として着任する。

「特殊作戦群(SOG)での活動について多くのことはお話できませんが、自衛官として“やれることが増える”という想いが1番でした。ただ当初は特殊作戦群って何をやる部隊なのかまったく見当もつかず知らないことばかりであり、そのような中で、これまでやったこともないことを繰り返し行い習熟していくその過程はストレス過多な訓練ではありましたが、知的欲求からした場合とても新鮮で充実感が大きかったです。

ただその過程にはNo-Go(ノーゴー=失格・中止)という訓練停止があり、これまでの自衛隊では経験したことのない『本気のクビ(SOGに所属できないこと)』について戦々恐々とした毎日を過ごしました。そのような新鮮と恐怖が入り交じる経験は『鍛錬』という言葉が一番しっくりくるものであり、その中に身を置き集中することで研ぎ澄まされていく感覚は強烈なインパクトでした。特殊作戦群はそれくらいやりがいを感じる部隊でした」

その後、自衛官を辞した長田氏は身辺警護の職に就くことになった。そこでは自衛官時代にはあまり触れてこなかったボディガードの手法を学ぶことになる。そして、この時にもうひとつの人生の転機を迎える。

―― それが田村装備開発社長である田村氏との出会いだった。

「知人の紹介で田村社長と出会いました。話し始めてすぐに “この人は信用できる”と直感を受けたことは今でもよく覚えています。すぐにSOGの話になりました。すごく盛り上がって色々な話をしたのですが、戦術や装備品などに関して共通した認識を持っている人だと感じたのです。その後間もなくして田村装備開発でお世話になることになったのは当然の流れだったように思います」

―― 田村装備開発に入社すると田村社長から訓練を担当して欲しいと言われる。もちろん自衛官時代には助教も務めるなどの経験があったため長田氏にも多少の自信はあった。

「訓練をはじめた頃は、実働できる社員が田村と私の2人だったこともあり、田村と一緒に講師を務めることが多々ありました。そこで田村の戦闘における考え方や技能に触れ驚愕しました。それは明らかに田村のスキルが飛び抜けていると強く感じたからです。

CQB(クロス・クォーター・バトル【近接戦闘】)やCQC(クロス・クォーター・コンバット【近接格闘】)、それらに必要な体術、法令を準拠しつつも合理的に考えた作戦立案等、どれをとっても目から鱗であり、田村装備開発で訓練を担当する上でこれらを学び理解する必要があると強く感じました。

講師として訓練を実施しながらも、それまで自分が持っていなかったスキルを身につけるために多くの時間を費やしました。そのことが今の自分の大きな糧となっており、訓練の向き合い方について考える大きなきっかけとなりました」

田村装備開発の訓練を通じて装備に対する考え方も徐々に変わってきたという。その一例としてライトに関する扱いを語ってもらった。

「自衛隊では光を積極的に扱うことはありませんでした。例えば夜間に地図を見る際にはポンチョの中で光がまったく外に漏れないようにして見ます。

しかも光りが拡散しないようにライトの先端部分を遮光素材で覆いそこに小さな穴を開ける工夫などをしていたのです。そのような環境だったこともあり積極的に戦術として利用することは当時はあまり考えたことがありませんでした」

―― しかし田村装備開発では田村社長の想いもあり、装備品が戦術を変えることを念頭に、新たに使える装備を随時試す環境があった。そのため長田氏も大きく影響を受けることとなる。

「田村装備開発の入社後はライトなどの装備を積極的に使った戦術を考えるようになりました。眩惑や検索など、目的に合わせたライトの選定も含めて興味がわいてきたのもその頃からです」

―― 田村社長がレイギアーズと共に開発を手がけたタケミカヅチ-Takemikazuchiはタクティカルライトとしては希有な青色の光を用いたモデルだ。もちろん長田氏もそれまで見たことも使ったこともなかったこのライトを見て、新たな装備品が戦術に影響を及ぼすことを強く感じたという。

「青い光が暗がりの環境で、いかに眩惑の効果があるのかはTakemikazuchiを使うことで体感できました。一方、検索で用いるのは白色の光です。ライトの選択ひとつでも戦術の幅をさらに広げていけることも知りました」

―― また、レイギアーズのTUKUYOMI.9、さらにはTSUKUYOMI.55も田村装備開発の訓練所で実践的に使用して、その効果を体感。それらのライトを使った戦術にも積極的に関与することになっていく長田氏。これまでに経験の無い強力なタクティカルライトが訓練の質をさらに高めてくれることを体感しているようだ。

田村装備開発で訓練を担当してすでに15期目に突入したという長田氏。訓練では大切にしている想いがあるという。

「弊社の訓練は田村の考えもあり、基礎から積み上げる訓練ではなく、まずは撃ち合いを行い、実践的感覚に触れてもらいます。

私としては、その時の個々の対応を捉え個別に訓練指導を行います。(その際には、自衛隊で助教をしていた頃の経験もあり、各個人の能力を見る力が役に立っています)。

ボクシングで例えるなら、シャドーやミット・サンドバッグ打ちをいくら繰り返してもチャンピオンになる可能性はかなり低いと思います。相手と対することで様々な理(ことわり)に触れながら課題を発見していき、そこをトレーニングすることこそが大きな効果をもたらすと考えています」

「私自身、自衛隊で訓練をはじめた頃、国とか防衛といった想いより、むしろ技術や知識をもっと知りたいという純粋な欲求が入り口にありました。今はその想いに幾分かの変化はありますが、それでも、さまざまな戦術や装備品などの研究を行うことは、性に合っていると思っています。ただそれには強い体があってこそであるとも考え、受講者にもこの点はその都度説いています。そして何よりも訓練することにより人として成長していると思えることも常に大切にして欲しい部分です」

―― 自衛官時代、民間の身辺警護、そして田村装備開発での訓練担当と自らのスキルを磨きつつ、それを後進に伝え続けている長田氏。田村装備開発では田村社長との二人三脚による訓練の進化、装備品の開発を日々続けている。

「これからも、まだまだ戦い方の探求・研究をして日本に広めていきたいと思っています。
後進の自衛隊員や警察官には知って欲しいことがたくさんあります。それを訓練を通じて伝えていくのが私の役割だと思っています」

PROFILE

長田 賢治(ながた けんじ)

元陸上自衛隊員。防衛庁長官直轄部隊特殊作戦群(SOG)に所属(在籍当時の名称)。部隊レンジャー訓練首席卒業。部隊レンジャー訓練指導部助教2回、新隊員前期先任班長1回を歴任。第13旅団格闘試験徒手及び銃剣格闘特級、銃剣道5段。

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