
危機管理・テロ対策・暴徒鎮圧を目的に開発された新世代プラズマサーチライト
Photographer:藤井元輔 Interviewer:土田康弘
Photographer:藤井元輔 Interviewer:土田康弘
数々の映画で活躍するリアルアクション俳優・坂口 拓氏。
映画「1%re(ワンパーセンター)」の主演をはじめ、映画「キングダム」への出演、さらにはハリウッド映画「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」ではニコラス・ケイジとの共演を果たすなど、日本国内はもとより海外での活躍も聞こえてくる人物だ。
そんな坂口氏があえて“リアル”アクション俳優と名乗るのにはワケがある。
アクション俳優であると同時に、戦闘術や格闘技、暗殺術にも長ける達人である側面を持つ坂口氏、アクションにリアルを注入し続ける思いやバックボーンに迫るためインタビューに訪れた。
インタビューを行うスペースとして指定された事務所を訪れると映画やYouTubeで見慣れた坂口氏が出迎えてくれる、その姿からはオーラが漂い存在感の高さに圧倒される。
しかし、ひとたび話し始めると表情・話し口調は柔和そのもの。この人物のどこに戦闘術の達人と言う一面が潜んでいるのかがわからないほどの印象だった。そんな和やかな雰囲気のなかインタビューはスタートした。
―― 映画のアクションはリアルであるべき、そんな思いを具現化するため自らがさまざまな格闘技や戦闘術を習得し日々鍛錬を続ける坂口氏、まずは現在の坂口氏を形成した幼少時代に遡ってみることにした。
「小学生の頃は引っ込み思案でいじめられっ子だったんですよ。まわりともあまりうまくなじめない子供で、一人で過ごすことも多かったんです。楽しみと言えば両親が連れて行ってくれる映画でした。母親はハリウッド映画のアクションやホラーが大好き、父親はジャッキー・チェン好きでした。その頃に母親と行った映画「ダイ・ハード」を見て漠然とヒーローに憧れました。今につながるルーツと言えばその時の映画鑑賞だったのかも知れないです」
―― 小学校高学年になった頃、まわりになじめない息子を心配した父親が坂口氏を登山に連れ出した。
行ってみると北アルプスの山々を登るかなり本格的な登山だった。
「僕の性格からだったと思いますが、どこの山に登るのかどんな行程なのかも一切聞くこともなく登山が始まりました。険しいルートだったんですがなんとか頂上に到着、そこから下山したので“これで登山は終わりかな?”と思っていたんです。でもその日は山小屋に宿泊して翌日も別の山に登るようなんです。それを何日も繰り返していくつもの山を登りました。今考えると北アルプスの山々を縦走していたんですね。子供の僕はそんなことも知らずにただ父親についていくだけでした」
―― しかし坂口少年が特別だったのは終わりの見えない登山に向き合っていても“いつまで続くの?”と疑問に思うことが無く、父親にゴールを尋ねることも無かった点だろう。普通で考えれば目標の見えない登山は苦痛、小学校高学年の子供にとってはなおさらだろう。しかし坂口氏はゴールの見えない登山であっても何も聞かず黙々と歩き続ける。
「黙々と登山を続けるのは嫌いではありませんでした。歩いているときには自分と会話する時間だと感じていたんです。歩いていると普段は考えないことも思考する、それが良いものだと子供心に気づいたんです。またずっと無言で目前を歩いて行く父親の背中も僕に何かを伝えるメッセージだと感じていました」
―― そしてついに縦走を終えて最後の山頂に立ったとき、父親が振り返ってこれまで歩いてきたルートを説明してくれる、それはそれまでの登山の達成感と開放感を味わう瞬間だった。
「その時に、先の見えないゴールに挑むことも醍醐味と楽しさを感じたんです。このやり方って自分に合ったスタイルなんじゃないかと発見したのはこの登山での大きな成果だったんです」
そんな坂口氏が高校への進学で選んだのは故郷の石川県の中でもかなり山間にある高校だった。自宅からの距離を考えても電車で通学するのがごく一般的な選択肢だった。
「最初は電車通学をはじめたのですが、入学してすぐに電車の中で体の大きな不良の先輩に絡まれたんです。“電車賃よこせ!”とすごまれました。これがすごく嫌で、不良と遭遇したくない一心で僕だけ自転車通学をはじめました」
―― 簡単に自転車通学と言うが、坂口氏が通っていた高校までは自宅から延々と上り坂の続く行程で、往路はなんと3時間。比較的楽な復路でも1時間半はかかるという過酷なものだった。この日を境に坂口氏の人生に大きな影響を与える自転車通学が始まる。
「石川県なので冬になると雪も積もるんです。それでも自転車通学はやめませんでした。雪が積もって自転車に乗れないときには担いで通学することもありました。ひどいときには片道6時間かかったこともあったほどです。時には“なんでこんなことしてるんだろう?”と心が折れそうになることもありましたが、最後まで諦めることなく3年間無遅刻・無欠席を続けたんです。一度決めたら最後までやり通す、これが自分の良いところなのかも知れないと思ったのはこの自転車通学があったからでした」
雨の日も雪の日も、黙々と3年間自転車通学を続けた坂口氏、ひとつのことに打ち込んで継続する力は、この時に培われていく。
さらに自転車は体力的なトレーニングにもなり、特に下半身の強化に役立っていたことは坂口氏自身も後から実感することになる。
何に置いても、その後の坂口氏を形成する大切なエピソードになった長距離の自転車通学。学校中の誰もやることが無かった3年間の自転車通学、それを成し遂げたのには坂口氏に図抜けた精神力があったのは確かだ。
―― 高校卒業を目前に控えていた時期、確かな目標がなかった坂口氏。まわりは進学や就職を決めていくが進路が決まらない日々が続く。
「その当時は、将来の希望や夢は特に無かったんです。それで動物が好きだったという軽い理由でペット用品などを扱う施設を受けることにしたんです。就職面接に行ったときに“何ができますか?”と聞かれた時に“ひとつのことをやり遂げることができます”と答えたのを今でも鮮明に覚えています。無事入社できてペット用品の管理や配達を担当しました」
―― 社会人生活にも慣れて、先輩社員との交流も増えていった時期、休憩時間に映画好きの先輩社員に「自分が映画監督だったら坂口君を沖田総司役に使って映画を撮ってみたいなあ」と言われる。もちろん坂口氏自身は、それまで映画や俳優などの仕事は想像もしていなかったが、その後にリアルアクション俳優となる坂口氏の発想のヒントにになってたこともまた事実だった。
―― さらに会社員時代にはもうひとつの重要なエピソードがある。それが坂口氏の初恋物語だ。
「夏にアルバイトで女の子が入って来たんです。その子が可愛くてすぐに好きになったんです。でも何度もチャンスはあったのに勇気が無くてついに告白はできませんでした。これはショックでした。なぜ告白できなかったのか悔やんで自分で分析したんです、すると自分に対して自信が無いことが原因だと思い至ったんです。そんな自分が嫌で、自分に自信が持てるようにはどうすれば良いかを考え始めました」
―― こうして、自分が輝ける、自分に自信が持てる仕事をしたいと思い始める坂口氏、ここから彼の人生は大きく動き出すことになる。色々な選択肢の中から坂口氏がひらめいたのは俳優やお笑い芸人などの演者だった。両親譲りの映画好き、先輩社員からの言葉など、色々な要素がここでピタリと一致して目標が見えてくる。
「その中でも、子供の頃に憧れたヒーローをイメージしてアクションをやりたいと思ったんです。母親が好きだったこともあってジャパンアクションクラブ(JAC)に行くことにしたんです。オーディオションを受けて25期生のメンバーに選ばれるんですが、入ってみるとJACでのトレーニングは過酷でした。同期で100人ほど入所したメンバーもすぐに半減するほどでした。それでも僕は体力的にも精神的にも耐えられて環境にも順応して行けました」
―― 炎天下のランニングや腕立て伏せなど、トレーニングは過酷を極めた。しかし高校時代の自転車通学で鍛えた体力・精神力はここで遺憾なく発揮される。ひとつのことをやり遂げるという坂口氏が備えている強みも発揮されJACでの生活は充実したものになっていく。
「その時はコーチ陣に対して僕が頑張っているところをしっかりと“見せる工夫”をしました。また早朝に道場に行って率先して掃除するなど、まわりに“見られている”ことを意識して行動できるようになったのも、その後の俳優として礎になっていると思います。これも僕の中では演じることのトレーニングだったんです」
―― はじめて自分なりの目標が定まった坂口氏、JACで順風満帆な練習生生活を送っていたのだが、ここで次なる疑問に突き当たる。それが今につながるリアルアクションの考え方だった。
「JACでの訓練を経て、ある程度はアクションの動きができるようになっていたんです。そんな時に巷で流行始めていたのがK1やプライドといった格闘技でした。本気の格闘技とアクションの格闘シーンを見比べると“あれっ?”と違和感を感じたんです。映画のアクションってリアルじゃ無いのでは? と疑問に感じたんです。これがリアルアクションを追求しはじめるきっかけになりました」
―― それからは自然な演技についてを調べはじめた坂口氏、ハリウッドではメソッド演技など自然な演技スタイルがもてはやされ、映画の世界ではリアルが求められていると感じ始める。さらに、日本でも浅野忠信さんなどがボソボソとセリフをしゃべるリアルな演技も受け入れられはじめていた時期でもあった。
「でもアクションはまだまだ段取りが中心、リアルアクションと呼べるものはまだありませんでした。僕はそれを映画に取り入れていきたいと考えたんです」
―― 19歳になったばかりの若きアクション俳優のタマゴだった坂口氏、自らが壮大なアクションの改革をはじめるのは、このようなふとしたきっかけからだった。自らの目標を探し続けていた坂口氏が本気で取り組みはじめた夢がリアルアクションだった。
―― ここから映画や演技の世界に全力を注ぎはじめる坂口氏、映画関連の仲間も増えていく。そこで出会ったのが後に監督として映画「リボーン」を撮ることになる下村勇二氏だった。自らもスタントを行う下村氏と会い、実際に格闘シーンの手合わせを行っている。
「最初にスパーリングをしたときにはそのスピードについていけませんでした。すると勇二から“JACってそんなもんなんだ”と言われたのが悔しかったです。反骨心も芽生えて格闘技に磨きを掛けて、リアルに強くなろうと思ったんです」
―― 強くなりたい、そう思った坂口氏はその後すぐにボクシングを始める。習うならば一流で、と考え世界ランカーも排出する有名ボクシングジムに入門し本気でボクシングのトレーニングをはじめる。このあたりも突き抜けた坂口氏らしい選択と言えるだろう。
「もちろんアクションのためにボクシングを始めたとは言えないので皆と同じ練習生として入門しました。
練習を積んでくと世界クラスのボクサーともスパーリングさせてもらえるようになりました。その頃になるとジムから“世界を目指してみないか?”と誘われたこともあったんですが、僕の目標はあくまでもリアルアクション、そこには興味はありませんでした」
―― 練習を始めると瞬く間にボクシングの才能を開花させていく坂口氏、そのベースには、やはり高校時代の自転車通学で鍛えた強靱な下半身があったからだった。特にパンチのスピードは格段にアップして、その後“手技のスピードでは誰にも負けない”という自負を持つまでになっている。さらにボクシングでの動きは坂口にとって興味深いものばかりだった。特にスパーリングでは学ぶべきことがたくさんあった。ただし、その思考方法は少し変わっていた。
「ジムには大きな鏡があるんですが、スパーリングしているとき自分の姿も写るんです。普通は戦いに集中して鏡を見ることは無いんですが僕はちらちら見て、どう動けば攻撃や受けの時の体の動きが“かっこ良く見える”のかを考えていました」
―― ボクシングで強くなるのと同じく、その技術を使ってアクションをリアルたらしめることを探求することがすでに坂口氏にとってのライフワークとして体に染みついていたエピソードと言えるだろう。
―― リアルアクションを磨き上げるためには格闘技に本気で取り組む必要がある。そうしてリアルな格闘とは何なのかをさらに突き詰めていくことになる坂口氏。格闘技をトレーニングする一方で、もうひとつのテーマにしたのは“1対多人数”の格闘だった。これも今だから話せる坂口氏なりの破天荒なエピソードとなっている。
「映画の格闘シーンで主人公に対して多人数の敵が襲いかかるシーンがあります。でもリアルではどうなんだろう? と思ったんです。本当に1対多人数の格闘は成り立つのだろうか。そこで考えたのがストリート・ファイトでした。当時、新宿や渋谷でたむろするチーマーやカラーギャングと呼ばれる集団が練習相手でした。足は速かったのでヤバくなったら逃げるという作戦でたびたび多人数相手の戦いを挑んでいました」
1対多人数の戦いではどのような動きになるのかを頭で考えるのでは無く、あくまでも“実戦”から学ぼうと考えたのも坂口氏らしいリアルを追求する彼ならではの流儀だった。
「この1対多人数のストリート・ファイトは色々な発見がありました、そのひとつが多人数を相手にしたときでも直接対峙しているのは一人だと言うこと、まわりの敵は“その他大勢”になるんです。戦っている中で直接の相手以外は意識が集中していないため、パンチが当たりやすいことに気づいたんです。例えば壁を背にすると正面に敵、両サイドからも敵が取り囲んできます。すると正面の相手にはなかなかパンチは当たらないんですが、両サイドの敵は意外にパンチが当たりやすいんです。この経験はそのままリアルアクションの動きに取り入れています」
―― リアルアクションに必要な要素を次々と身につけていく坂口氏。技術面に加えて次なるテーマに掲げたのが“命の駆け引き”だった。リアルを追求する上で、本気の格闘=命を賭けた戦いは避けては通れない。そこで、あえて危険な現場にあえて足を踏み入れることになる。ストリートギャングとのストリート・ファイトですっかり地域の裏勢力にも知られる存在になっていた坂口氏、本気で命のやりとりをする現場をリアルに経験したいと考えたというのだ(かなりぶっ飛んでいる……)。
「新宿あたりにはヤバイ勢力がうよいよしていたんです、そのあたりでもある程度顔が利くようになっていたので、抗争の現場を体験してみることにしたんです。あくまでもリアルアクション俳優として参加しているのは忘れずにです。詳しくは話せないんですが、そこではかなり危険な目にも遭いました。青竜刀で襲われてそのあたりにあったゴミ箱の蓋を盾代わりに使ったりね……。命を賭けた本気の世界ってどんなものなのかを身をもって経験したのは僕のその後のリアルアクションにも生かされています」
―― 格闘技や戦闘術、ストリート・ファイトで戦いの技術と精神力を磨くことに加えてえ、俳優である坂口氏は映画の世界でも着々とキャリアを積み重ねていく。前出の下村勇二氏と自主制作映画を制作するなどして映画関連の人脈も広げていく。後に映画「1%er(ワンパーセンター)」を撮る山口雄大氏の作品に出会って交流をはじめるなど、思いを同じくする映画関連の面々が集まってくるようになる。そんな中に映画「ヴァーサス」を撮ることになる北村龍平氏がいた。
「北村龍平氏から“本当に喧嘩が強いやつを探してるんだ”という話が僕のところに流れてきたんです、結果的には声が掛かって主演することになるんです」
―― 最初の主演映画となる「ヴァーサス」は坂口氏のリアルアクションの原点となる作品。実際に拳を相手に当てるアクションを実施することにもこだわった。撮影と並行して格闘のレベルを上げるために事務所に簡易的な道場を設置してストリートの腕自慢を呼んでスパーリングと称する本気の格闘を実施。リアルな格闘をとことん追求していく姿勢を貫く。こうして実践的にリアルアクションのレベルを上げて行ったのもまさに坂口流だった。
―― アクション俳優としてのキャリアを積み重ねる坂口氏は、さらにリアルアクションの可能性を広げるべく、アクションチーム「ゼロス」を立ち上げる。ここでは朝はボクシング、昼はキックボクシング、夜は柔術をこなすなど、毎日がアクションのためのトレーニング漬けの日々を送る。チームを率いてアクション監督を務めることも多くなるのはこの頃から。テレビのアクションも監修することも多くなり、カメラアングルのこだわりも生まれていく。こうして坂口氏はリアルアクション俳優であると共にアクション監督としてスキルを磨いていく段階に入ることになる。
リアルアクションを映画の現場に取り入れるはじめ、順調に見えた坂口氏の取り組みだったが、またも疑問にぶち当たる。
「自分たちはリアルだと思ってやっていたアクションシーンを見た観客から、やんちゃな人たちが戦っている危ういシーンに見えてしまうといった声が聞こえてきたんです。リアルさを追求するだけでは見る側には正しく伝わらない、心地良く見てもらえないと言うことがわかってきたんです。そこでリアルであることに加えて、かっこ良く美しくが必要だと感じたんです。そのためには、さらにアクションの技術を上げて行く必要があったんです」
―― 坂口氏にとって次のステップとなったのは映画「狂武蔵」だった。もともとは別の映画の撮影を予定していたのだが、事情があって頓挫してしまったことから、残されたスタッフや機材を使って思いきった映画を作ろうとなる。それが77分間ワンシーンで戦い続ける前代未聞の戦闘シーンを描いた「狂武蔵」だった。
「77分にわたる武蔵と吉岡一門の戦闘シーンはリアルに徹したかったので撮影が始まると敵役の役者に向かって“俺を本気で殺しに来い”と叫んだんです。もちろんまわりはみんな腕利きのメンバーなので、その意味がわかってくれていきなりスイッチオンですよ。それで開始5分で指を骨折してしまいました。ここまで、みんながフルスロットルで襲ってくるとはちょっと想定外でした。その時点でかなり心が折れて体力も低下していました。しかしなんとか気力で持ちこたえて戦闘シーンを続けたんです」
―― そして意識が遠のくほどの過酷な戦闘シーンをなんとか続け後半になって坂口氏が“宮本武蔵見参!”と叫ぶシーンで事件は起こる。
「その瞬間にまるで幽体離脱したように体がフワッと浮き上がる感覚になったんです、同時に“これなら朝まででも戦える”と思える全能感のようなものがみなぎってきたんです。後から共演者に聞いたんですがその瞬間に僕の目つきや人相がガラリと変わったらしいんです。そこからは敵役がなかなか襲ってこなくなりました、なぜか“怖かった”と言うんです。これは自分自信もこれまで体感したことの無い感覚でした」
―― そんな思いをして完成させた「狂武蔵」。戦闘シーンの正しい評価が知りたくて、格闘家や傭兵など、各方面の本物の意見を聞くことになる。その中の一人が、その後の坂口氏に大きな影響を与える、自衛隊でも講師も務める軍事格闘のスペシャリストである稲川義貴氏だった。「狂武蔵」の撮影・制作があまりに過酷だったため、完成後は放心したように目的を失ってしまっていた坂口氏をもう一度奮い立たせてくれたのが稲川氏でもあった。
「狂武蔵の制作があまりにも過酷だったので、その時はリアルアクションって本当に必要とされているんだろうか、自己満足なんじゃ無いか? など思い詰めたこともありました。それもあり、いったんは俳優の引退を決意したんです」
―― そんな悩みの日々を過ごしていた坂口氏に、稲川氏からお誘いが掛かる。すでに坂口氏は稲川氏の戦闘術・殺人術に心酔していたため、すぐに訪れることにした。
「稲川先生のウェイブや殺人術は学べば学ぶほど素晴らしく、すぐに弟子入りすることにしたんです。それから4年間みっちりと学ぶことになりました。まだまだ僕には足りないところがあることをその時にも痛感しました。稲川先生の格闘術にはこれまで見たことの無いような美しさがあったんです。強いが同時に美しい、そんな不思議な存在が稲川先生なんです」
―― 稲川氏の幅広い人脈もあり、特殊部隊のメンバーなどの濃い人々との交流もはじまる。そんな仲間と集まると戦闘術の話はもちろんだが、日本をどうして守るかといった深い話になることも多くなる。そして、間もなくして映画「リボーン」が完成する。ここでの戦闘シーンは親しくなっていた数々の兵士からも評価されることになる。
「本物の兵士に評価してもらえたのが嬉しかったですね。兵士の仲間が大切だと認めた相手にだけ渡すチャレンジコインという習慣があるんですが、それを何人もの兵士から渡されたのも自分にとっての勲章です。兵士からも仲間だと認めてもらったことからもリアルアクションを追求してきて良かったと思いました」
―― さまざまな鍛錬と技術の習得でリアルアクションを研鑽し続けてきた坂口氏、現時点でのリアルアクションの集大成として制作したのが映画「1%er(ワンパーセンター)」だった。
「ワンパーセンターではリアルアクションを誰もがわかる形にしていきたいと思ったんです。その要素のひとつが戦闘シーンでの無言の会話です。戦いにおいて言葉を発さない“会話”があるんです。目の動きであったり動作であったり、相手が狙っているのはどこなのか、どんな攻撃を考えているのか、格闘家同士ではそれをお互いに感じる会話が成り立っています。これを描くことがこの映画のひとつのテーマでした。実際にラスボスとして登場する石井氏(ジークンドーの達人である石井東吾氏)と僕の戦闘シーンを見てもらうとそれが理解できると思います。格闘シーンには一切の段取りはありません、スピードや動きでリアルさは伝わると思います。そこに無言の会話が加わるとさらに格闘がリアルになるんです。超速で格闘している中でこの無言の会話が描けたと思っています」
―― 刃物を使った戦闘では、例えばナイフが刺さる圏内に両者が入れば、ものの数秒でいずれかが死ぬ。その瞬間には命を賭けた“会話”が成り立っているのだという。それを映像を通じて見せることが坂口氏にとってのリアルアクションの見せ場となっているのだ。
―― さらに「ワンパーセンター」ではさまざまな道具を使った戦闘シーンも印象的に用いられている。そのひとつがライトを使ったシーンだ。暗闇の中で相手の目をくらませてライトを使って打撃を加える、光と影、さらにはライトを使って居合いを思わせる動きを見せるのも独特。坂口氏曰く「ライトセイバーをイメージしたシーンを撮りたかった」の狙い通りの印象的なシーンになっている。またレンチなどを使ったシーンも随所に登場する。これは稲川氏から伝授された暗殺術の影響がある。
「身近なものを有効に使って戦うのは稲川先生の暗殺術で教わった戦闘術のひとつです。これもリアルさを追求する上では欠かせない要素です。稲川先生の戦闘のきれいさや美しさに加えて、その場にあるものを使った戦闘もリアルそのものなんです」
―― こうして数々の困難や壁を乗り越えてきた坂口氏、今ではすっかりリアルアクションを自分のものとし確固たる地位を築くに至っている。そんな坂口氏にとってリアルアクションと戦闘は同じベクトルにあるものだと語る。
「僕にとってはリアルな戦闘・格闘とリアルアクションは同じなんです。格闘家の中には撮影時と試合では入るスイッチが異なる人もいるんですが、僕はいつも同じです。格闘や戦闘とリアルアクションを別に考えたことは無いんです」
―― ここまでリアルアクションという答えの無いもの、ゴールの見えないものに突き進んでこられたのにはどんな動機があったのだろう。
「答えの無いものに突き進むのって自分の性に合っていたんです。目標が見えないと頑張れない人って多いですよね。映画出演が決まるとアクションの練習に励むとかね。それが普通なのかも知れないですが、僕にとってはいつも鍛錬している武術や格闘技がそのままリアルアクションにつながっている感覚なんです。子供の頃に父親と行った北アルプスの登山もゴールが見えないのに頑張れる、それも自分の強みなんです。さらにひとつのものを止まらずに突き詰めていくのも自分の才能だと思っています。それは高校生の自転車通学から始まっていたのですね」
―― 坂口氏はインタビューの最後に、リアルアクションを追求してきたこれまでのチャレンジに加えて次なる目標を語ってくれた。
「作品の表現力をもっとももっと高めていきたいと思っているんです。自分で配信会社を作って。作品作りの障壁になるコンプライアンスに左右されない思い切った作品を世に出していきたいと思っています。リアルアクションのリアルを究めてきた次の段階として本当のことを表現できる映像作品を作るのが今の目標です」
どこまでのリアルを追求するリアルアクション俳優である坂口氏、常に新しいテーマにチャレンジし、自らを鍛えてその都度困難を乗り越えクリアしてきた。可能性を拡げ続ける坂口氏が世に問いかける次なる作品が楽しみだ。
坂口 拓(さかぐち たく)
1975年生まれ、リアルアクション俳優、アクション監督、現代忍者、格闘家などさまざまな肩書きを持つ。映画「VERSUS(ヴァーサス)」でデビューした後、「狂武蔵」「RE:BORN(リボーン)」などの数多くの作品に出演、劇中の格闘シーンにリアルさを注入するリアルアクションを追求する。俳優や監督業の傍らYouTube「たくちゃんねる」で格闘家や暗殺術などの達人を迎えたオリジナルコンテンツも制作。