伊藤祐靖氏 スペシャルインタビュー

自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊の創設メンバーである伊藤祐靖(いとう すけやす)氏。
自衛官として組織の進化に努め、世界にも通用する特殊部隊の育成に尽力。

退官後は海外の軍との関わりをフィードバックすることで外部から自衛隊のレベルアップに寄与しつつ、民間への講演活動さらには執筆活動などを行う。レイギアーズの製品との関わりも深い伊藤氏にその思いをうかがって来た。

特殊部隊創設メンバーであることからも、自衛官の中でも特別な存在として見られている伊藤氏、そんな人物だけに生粋の自衛官としての少々おっかない人物像を想像してインタビューに臨んだが、ご自宅にお邪魔して挨拶を交わすと柔和で物腰の柔らかな人物であることがわかり少し意外に思ってしまうほどだった。

―― そもそも伊藤氏は自衛官を目指したのはふとした偶然からだった。日本体育大学に陸上競技の短距離選手(特待生)として入学、卒業後は高校の体育の教師になることも決まっていたという。

―― しかし幹部候補生を受験することなく海上自衛隊に入隊、あえて2等海士からスタートすることを選ぶ。

―― その後は幹部候補生となり艦艇勤務に従事する。その時の経験から海上自衛隊に臨検などを行うことができる特殊部隊の必要性を強く感じた伊藤氏は、上層部に上申書を書くことを考えたという。

―― 伊藤氏の人生が大きく動き出すことになる特別警備隊への配属、本人もその重要性を知り高ぶるものを感じたのだった。

能登半島沖不審船事件に航海長として参加
自らの進路を大きく変えるきっかけとなる

そして伊藤氏のその後の人生を大きく左右する事件に遭遇することになる。それが能登半島沖不審船事件(1999年)だった。

当時、伊藤氏はイージス艦みょうこうの航海長として乗船、そこで起こったのがこの事件だった。北朝鮮の不審船の追跡に加えて、海上自衛隊が立ち入り検査を行うということになる。しかも相手の船に乗り込んで行うことは世界的にも希な任務だった。

さらに当時は海上自衛隊ではそのような作戦を実施する態勢が整う前で、隊員への武器や防弾チョッキなどの装備品が十分に行き渡っていなかった。それでも命令を受けた伊藤氏はみょうこうの乗組員に小銃などを持たせて準備できる装備を調え不審船に乗り込むための部隊の編成を行うことになる。

自衛隊初の特殊部隊の創設メンバーとして、誰も経験したことのない産みの苦しみを味わう

―― しかし自衛隊初の特殊部隊の創設は困難に次ぐ困難で始まった。準備室は基本的には指揮官と先任小隊長である伊藤氏ともう1名の計3名。実務を担当するのはほぼ伊藤氏だけという態勢だった。

―― 特殊部隊の教育という前例の無いミッションを与えられた伊藤氏、数々の困難をクリアしてきたのだが、中でも自身の経験が生きたと強く思えたのが教育内容の策定だった。

―― 3月になると予定通りに特殊部隊の教育がスタート。伊藤氏は教官でありつつ自分自身も教育を受ける学生の立場でもあった。しかし伊藤教官の教育方針は自衛隊としてはかなり変わったものだった。

―― 伊藤氏のその思いは徹底していた、特殊部隊の教育中は敬語も禁止してすべての隊員が対等の立場で向き合える環境を整えるなど、これまでの自衛隊の組織を根底から覆すスタイルを作っていく。
こうして7期にわたって特殊部隊の隊員育成に関わった伊藤氏、自身も特殊部隊である特別警備隊へ配属され実戦と教育の双方を長く手がけていくことになるのだった。

―― 自衛官として順風満帆だった伊藤氏だったが、2007年には自衛隊を退官することになる。目的は世界中の軍の持つ情報や戦術思想を見て、日本の自衛隊にフィードバックしたいと考えたのだ。それには自衛官の身分のままでは難しい、民間人となって広い知見を広めたいと思ったのだという。

世界各国の優れた戦術技術や思想を伊藤氏は積極的に日本に持ち帰って広めはじめた。
陸海空の各自衛隊に講師として招かれ従来の自衛隊には無かったより実戦的な戦術技術や思想を次々に伝えていくことになる。

―― その一方で伊藤氏には民間企業からの講演の依頼も舞い込むようになる。

―― さらに伊藤氏の現在のもうひとつの顔が作家としての側面だ。数多くの著書を世に送り出し、自衛隊や特殊部隊での経験を広く知らしめる活動も行っている。著書である『邦人奪還 ―自衛隊特殊部隊が動くとき―』もそのひとつだ。尖閣列島での衝突、北朝鮮の拉致被害者の救出作戦などを描いたフィクションながら、そのリアルさは能登半島沖不審船事件を現場で経験し特殊部隊の教官、隊員を歴任した伊藤氏ならではの表現方法であることを感じさせる著作だ。

―― 伊藤氏は自衛隊に関わる装備品にも精通している人物だ。テロ対策特殊装備展(SEECAT)に置いてレイギアーズのTSUKUYOMI・9が展示しているのに偶然出会い、すぐに魅了されたという。

―― こうしてレイギアーズとの関係をスタートさせた伊藤氏。その後、伊藤氏のリクエストを取り入れたTSUKUYOMI・9をベースとした伊藤祐靖 Limited Edition『黄泉 – よみ – 』を作り上げることになる。通常のライトはスイッチオンで常時点灯が常識だが、この仕様が特別なのはスイッチオンするとストロボ点滅がすぐに始まる点だ。さらにこのモデルのストロボ発光はどのメーカーの製品とも異なる、強烈な眩惑効果を与えることができるのが大きな特徴となった。

伊藤氏の特別仕様にはコウモリのロゴマークが記されているが、これは特殊部隊のマスコットがコウモリであったことに由来している。まさに自身の経験に基づいた仕様を込めた伊藤氏仕様ができあがった。この通りレイギアーズの良きアドバイザーとしても伊藤氏の存在は大きい。プラズマサーチライトに対してさらに実戦で必要な機能や仕様の研究開発が今後も続く予定だ。

―― 最後に伊藤氏から後進に向けてメッセージをもらった。
特殊部隊としての経験から民間人としての幅広い活動を通じて、今思っていることがあるという。

PROFILE

伊藤 祐靖(いとう すけやす)

1964年(昭和39年)生まれ、日本体育大学体育学部に陸上競技の短距離選手日体奨学生(特待生)として入学した後、1987年に海上自衛隊に2等海士で入隊、自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊(海上自衛隊)の創設メンバーとなる。1999年の能登半島沖不審船事件ではイージス艦みょうこうの航海長として参加。2007年に退官後は自衛隊や民間企業の講師を務める傍ら著書も多数。

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