坂口拓氏 スペシャルインタビュー

数々の映画で活躍するリアルアクション俳優・坂口 拓氏。
映画「1%re(ワンパーセンター)」の主演をはじめ、映画「キングダム」への出演、さらにはハリウッド映画「プリズナーズ・オブ・ゴーストランド」ではニコラス・ケイジとの共演を果たすなど、日本国内はもとより海外での活躍も聞こえてくる人物だ。

そんな坂口氏があえて“リアル”アクション俳優と名乗るのにはワケがある。
アクション俳優であると同時に、戦闘術や格闘技、暗殺術にも長ける達人である側面を持つ坂口氏、アクションにリアルを注入し続ける思いやバックボーンに迫るためインタビューに訪れた。

インタビューを行うスペースとして指定された事務所を訪れると映画やYouTubeで見慣れた坂口氏が出迎えてくれる、その姿からはオーラが漂い存在感の高さに圧倒される。

しかし、ひとたび話し始めると表情・話し口調は柔和そのもの。この人物のどこに戦闘術の達人と言う一面が潜んでいるのかがわからないほどの印象だった。そんな和やかな雰囲気のなかインタビューはスタートした。

―― 映画のアクションはリアルであるべき、そんな思いを具現化するため自らがさまざまな格闘技や戦闘術を習得し日々鍛錬を続ける坂口氏、まずは現在の坂口氏を形成した幼少時代に遡ってみることにした。

―― 小学校高学年になった頃、まわりになじめない息子を心配した父親が坂口氏を登山に連れ出した。
行ってみると北アルプスの山々を登るかなり本格的な登山だった。

―― しかし坂口少年が特別だったのは終わりの見えない登山に向き合っていても“いつまで続くの?”と疑問に思うことが無く、父親にゴールを尋ねることも無かった点だろう。普通で考えれば目標の見えない登山は苦痛、小学校高学年の子供にとってはなおさらだろう。しかし坂口氏はゴールの見えない登山であっても何も聞かず黙々と歩き続ける。

―― そしてついに縦走を終えて最後の山頂に立ったとき、父親が振り返ってこれまで歩いてきたルートを説明してくれる、それはそれまでの登山の達成感と開放感を味わう瞬間だった。

高校3年間の過酷な自転車通学で
ひとつのことをやる遂げる力を培う

そんな坂口氏が高校への進学で選んだのは故郷の石川県の中でもかなり山間にある高校だった。自宅からの距離を考えても電車で通学するのがごく一般的な選択肢だった。

―― 簡単に自転車通学と言うが、坂口氏が通っていた高校までは自宅から延々と上り坂の続く行程で、往路はなんと3時間。比較的楽な復路でも1時間半はかかるという過酷なものだった。この日を境に坂口氏の人生に大きな影響を与える自転車通学が始まる。

雨の日も雪の日も、黙々と3年間自転車通学を続けた坂口氏、ひとつのことに打ち込んで継続する力は、この時に培われていく。

さらに自転車は体力的なトレーニングにもなり、特に下半身の強化に役立っていたことは坂口氏自身も後から実感することになる。
何に置いても、その後の坂口氏を形成する大切なエピソードになった長距離の自転車通学。学校中の誰もやることが無かった3年間の自転車通学、それを成し遂げたのには坂口氏に図抜けた精神力があったのは確かだ。

失恋から自分に自信を持つ道を考える
憧れのヒーローをイメージして俳優を目指す

―― 高校卒業を目前に控えていた時期、確かな目標がなかった坂口氏。まわりは進学や就職を決めていくが進路が決まらない日々が続く。

―― 社会人生活にも慣れて、先輩社員との交流も増えていった時期、休憩時間に映画好きの先輩社員に「自分が映画監督だったら坂口君を沖田総司役に使って映画を撮ってみたいなあ」と言われる。もちろん坂口氏自身は、それまで映画や俳優などの仕事は想像もしていなかったが、その後にリアルアクション俳優となる坂口氏の発想のヒントにになってたこともまた事実だった。

―― さらに会社員時代にはもうひとつの重要なエピソードがある。それが坂口氏の初恋物語だ。

―― こうして、自分が輝ける、自分に自信が持てる仕事をしたいと思い始める坂口氏、ここから彼の人生は大きく動き出すことになる。色々な選択肢の中から坂口氏がひらめいたのは俳優やお笑い芸人などの演者だった。両親譲りの映画好き、先輩社員からの言葉など、色々な要素がここでピタリと一致して目標が見えてくる。

―― 炎天下のランニングや腕立て伏せなど、トレーニングは過酷を極めた。しかし高校時代の自転車通学で鍛えた体力・精神力はここで遺憾なく発揮される。ひとつのことをやり遂げるという坂口氏が備えている強みも発揮されJACでの生活は充実したものになっていく。

―― はじめて自分なりの目標が定まった坂口氏、JACで順風満帆な練習生生活を送っていたのだが、ここで次なる疑問に突き当たる。それが今につながるリアルアクションの考え方だった。

―― それからは自然な演技についてを調べはじめた坂口氏、ハリウッドではメソッド演技など自然な演技スタイルがもてはやされ、映画の世界ではリアルが求められていると感じ始める。さらに、日本でも浅野忠信さんなどがボソボソとセリフをしゃべるリアルな演技も受け入れられはじめていた時期でもあった。

―― 19歳になったばかりの若きアクション俳優のタマゴだった坂口氏、自らが壮大なアクションの改革をはじめるのは、このようなふとしたきっかけからだった。自らの目標を探し続けていた坂口氏が本気で取り組みはじめた夢がリアルアクションだった。

―― ここから映画や演技の世界に全力を注ぎはじめる坂口氏、映画関連の仲間も増えていく。そこで出会ったのが後に監督として映画「リボーン」を撮ることになる下村勇二氏だった。自らもスタントを行う下村氏と会い、実際に格闘シーンの手合わせを行っている。

―― 強くなりたい、そう思った坂口氏はその後すぐにボクシングを始める。習うならば一流で、と考え世界ランカーも排出する有名ボクシングジムに入門し本気でボクシングのトレーニングをはじめる。このあたりも突き抜けた坂口氏らしい選択と言えるだろう。

―― 練習を始めると瞬く間にボクシングの才能を開花させていく坂口氏、そのベースには、やはり高校時代の自転車通学で鍛えた強靱な下半身があったからだった。特にパンチのスピードは格段にアップして、その後“手技のスピードでは誰にも負けない”という自負を持つまでになっている。さらにボクシングでの動きは坂口にとって興味深いものばかりだった。特にスパーリングでは学ぶべきことがたくさんあった。ただし、その思考方法は少し変わっていた。

―― ボクシングで強くなるのと同じく、その技術を使ってアクションをリアルたらしめることを探求することがすでに坂口氏にとってのライフワークとして体に染みついていたエピソードと言えるだろう。

―― リアルアクションを磨き上げるためには格闘技に本気で取り組む必要がある。そうしてリアルな格闘とは何なのかをさらに突き詰めていくことになる坂口氏。格闘技をトレーニングする一方で、もうひとつのテーマにしたのは“1対多人数”の格闘だった。これも今だから話せる坂口氏なりの破天荒なエピソードとなっている。

1対多人数の戦いではどのような動きになるのかを頭で考えるのでは無く、あくまでも“実戦”から学ぼうと考えたのも坂口氏らしいリアルを追求する彼ならではの流儀だった。

―― リアルアクションに必要な要素を次々と身につけていく坂口氏。技術面に加えて次なるテーマに掲げたのが“命の駆け引き”だった。リアルを追求する上で、本気の格闘=命を賭けた戦いは避けては通れない。そこで、あえて危険な現場にあえて足を踏み入れることになる。ストリートギャングとのストリート・ファイトですっかり地域の裏勢力にも知られる存在になっていた坂口氏、本気で命のやりとりをする現場をリアルに経験したいと考えたというのだ(かなりぶっ飛んでいる……)。

―― 格闘技や戦闘術、ストリート・ファイトで戦いの技術と精神力を磨くことに加えてえ、俳優である坂口氏は映画の世界でも着々とキャリアを積み重ねていく。前出の下村勇二氏と自主制作映画を制作するなどして映画関連の人脈も広げていく。後に映画「1%er(ワンパーセンター)」を撮る山口雄大氏の作品に出会って交流をはじめるなど、思いを同じくする映画関連の面々が集まってくるようになる。そんな中に映画「ヴァーサス」を撮ることになる北村龍平氏がいた。

―― 最初の主演映画となる「ヴァーサス」は坂口氏のリアルアクションの原点となる作品。実際に拳を相手に当てるアクションを実施することにもこだわった。撮影と並行して格闘のレベルを上げるために事務所に簡易的な道場を設置してストリートの腕自慢を呼んでスパーリングと称する本気の格闘を実施。リアルな格闘をとことん追求していく姿勢を貫く。こうして実践的にリアルアクションのレベルを上げて行ったのもまさに坂口流だった。

―― アクション俳優としてのキャリアを積み重ねる坂口氏は、さらにリアルアクションの可能性を広げるべく、アクションチーム「ゼロス」を立ち上げる。ここでは朝はボクシング、昼はキックボクシング、夜は柔術をこなすなど、毎日がアクションのためのトレーニング漬けの日々を送る。チームを率いてアクション監督を務めることも多くなるのはこの頃から。テレビのアクションも監修することも多くなり、カメラアングルのこだわりも生まれていく。こうして坂口氏はリアルアクション俳優であると共にアクション監督としてスキルを磨いていく段階に入ることになる。
リアルアクションを映画の現場に取り入れるはじめ、順調に見えた坂口氏の取り組みだったが、またも疑問にぶち当たる。

―― 坂口氏にとって次のステップとなったのは映画「狂武蔵」だった。もともとは別の映画の撮影を予定していたのだが、事情があって頓挫してしまったことから、残されたスタッフや機材を使って思いきった映画を作ろうとなる。それが77分間ワンシーンで戦い続ける前代未聞の戦闘シーンを描いた「狂武蔵」だった。

―― そして意識が遠のくほどの過酷な戦闘シーンをなんとか続け後半になって坂口氏が“宮本武蔵見参!”と叫ぶシーンで事件は起こる。

―― そんな思いをして完成させた「狂武蔵」。戦闘シーンの正しい評価が知りたくて、格闘家や傭兵など、各方面の本物の意見を聞くことになる。その中の一人が、その後の坂口氏に大きな影響を与える、自衛隊でも講師も務める軍事格闘のスペシャリストである稲川義貴氏だった。「狂武蔵」の撮影・制作があまりに過酷だったため、完成後は放心したように目的を失ってしまっていた坂口氏をもう一度奮い立たせてくれたのが稲川氏でもあった。

―― そんな悩みの日々を過ごしていた坂口氏に、稲川氏からお誘いが掛かる。すでに坂口氏は稲川氏の戦闘術・殺人術に心酔していたため、すぐに訪れることにした。

―― 稲川氏の幅広い人脈もあり、特殊部隊のメンバーなどの濃い人々との交流もはじまる。そんな仲間と集まると戦闘術の話はもちろんだが、日本をどうして守るかといった深い話になることも多くなる。そして、間もなくして映画「リボーン」が完成する。ここでの戦闘シーンは親しくなっていた数々の兵士からも評価されることになる。

―― さまざまな鍛錬と技術の習得でリアルアクションを研鑽し続けてきた坂口氏、現時点でのリアルアクションの集大成として制作したのが映画「1%er(ワンパーセンター)」だった。

―― 刃物を使った戦闘では、例えばナイフが刺さる圏内に両者が入れば、ものの数秒でいずれかが死ぬ。その瞬間には命を賭けた“会話”が成り立っているのだという。それを映像を通じて見せることが坂口氏にとってのリアルアクションの見せ場となっているのだ。

―― さらに「ワンパーセンター」ではさまざまな道具を使った戦闘シーンも印象的に用いられている。そのひとつがライトを使ったシーンだ。暗闇の中で相手の目をくらませてライトを使って打撃を加える、光と影、さらにはライトを使って居合いを思わせる動きを見せるのも独特。坂口氏曰く「ライトセイバーをイメージしたシーンを撮りたかった」の狙い通りの印象的なシーンになっている。またレンチなどを使ったシーンも随所に登場する。これは稲川氏から伝授された暗殺術の影響がある。

―― こうして数々の困難や壁を乗り越えてきた坂口氏、今ではすっかりリアルアクションを自分のものとし確固たる地位を築くに至っている。そんな坂口氏にとってリアルアクションと戦闘は同じベクトルにあるものだと語る。

―― ここまでリアルアクションという答えの無いもの、ゴールの見えないものに突き進んでこられたのにはどんな動機があったのだろう。

―― 坂口氏はインタビューの最後に、リアルアクションを追求してきたこれまでのチャレンジに加えて次なる目標を語ってくれた。

どこまでのリアルを追求するリアルアクション俳優である坂口氏、常に新しいテーマにチャレンジし、自らを鍛えてその都度困難を乗り越えクリアしてきた。可能性を拡げ続ける坂口氏が世に問いかける次なる作品が楽しみだ。

PROFILE

坂口 拓(さかぐち たく)

1975年生まれ、リアルアクション俳優、アクション監督、現代忍者、格闘家などさまざまな肩書きを持つ。映画「VERSUS(ヴァーサス)」でデビューした後、「狂武蔵」「RE:BORN(リボーン)」などの数多くの作品に出演、劇中の格闘シーンにリアルさを注入するリアルアクションを追求する。俳優や監督業の傍らYouTube「たくちゃんねる」で格闘家や暗殺術などの達人を迎えたオリジナルコンテンツも制作。